活動エネルギーの矛先を考える
[No.0076]
「思考」と「お金」の
戦略パートナー
生岡直人です
今日はちょっと
取り留めないことかも
しれませんが
先日、お客様とお話しをしてて
話題になった
活動エネルギーに
関することを
人って誰しも
食べたり飲んだり
話したり
仕事をしたり
遊んだり
と
活動をするエネルギーを
持ち合わせていると思います
先日のとある打合せで
経営の話をしていたハズが
なぜか
「活動エネルギーの
使い方を考えることって
大切なんじゃないかな」
っていう
社会的、哲学的っぽい
話になりました
例えば、今の日本で
よく社会問題として
取り上げられる
いじめ
幼児虐待…。
こんなの
一昔前って
ここまで多かったでしょうか
少なくとも私が
小学生だった
25年ほど前は
ここまで大きな問題には
発展していなかった印象があります
こういった社会問題
多くなってしまっている原因の一つは
活動エネルギーを
使う矛先を見失っている
ことにあるのではと思います
一昔前の
高度経済成長期から
ITバブルくらいまでの時代って
きっとほとんどの人が
「今より良くなりたい」
「もっと安心して生きるには」
「もっと便利になるには」
って思考しながら
生きていたのかなって思うんです
きっと子供であっても
遊び一つ取っても
友達とコミュニケーションを取りながら
工夫して遊んでいたと思います
「マズローの
欲求5段階説」で言えば
「生理的欲求」や
「安全欲求」を
満たしたい行動に
近かったのかなと思うんです
きっとこの
「生理的欲求」や
「安全欲求」って
誰しもが求めるモノだから
得るためには
当然のように
エネルギーを使うと
思います
でも、今
モノが飽和して
「新しいモノ」はなかなか出ない
と言われる時代
利便性が追求されて
比較的楽にモノが手に入る
と言われる時代
になりました
きっと昔より
「今より良くなりたい」
「もっと安全になるには」
「もっと便利になるには」
ってところに
エネルギーを注がなくても良い
時代になったので
ココにエネルギーを注いでいる人が
少なくなったのではと
勝手ながら考えています
昔はあった
「エネルギーを向ける矛先」
がなくなったことで
例えば、
“いじめ”は
「社会的欲求」への
エネルギーの使い方を誤った一例
になってしまってるんじゃないかな
と思います。
コンサルティングという
現場においても
人の心と向き合ったり
「何がしたいのか」という欲求と
向き合ったりすることが
よくあります
活動エネルギーを
どこに向けるのか
社会問題などの視点も含めて
今後も考えていけたらなと
思います
今日は以上です